『みなと祭り』無事に終わりました。
支援くださったみなさん、応援してくれたみなさん、本当にありがとうございました!
みなと祭りつの様子は後日、アップしたいと思います。
さて、今日は何故みなと祭りに毎年参加するようになったかを、お話ししたいと思います。
父の産まれた町
それが、宮城県気仙沼なのです。
私も子供の頃から毎年行ってました。
子供の頃、みなと祭りでお姉ちゃんが迷子になり必死で探したのに見つからず、諦めて一旦おばあちゃんちに帰ったら、お姉ちゃんが寛いでて涙したのを思い出しますw
ま、お姉ちゃんからしたら私が迷子だったのですが^_^;
夏に宮城に行ってお祭りに遊びに行くのが楽しみだったけれど大人になった今、こうして出演する側になってるのが不思議なものです。
2011年、
東日本大震災が起こり親戚の多くは住むところを失いました。
当時の話しは壮絶過ぎて受け止められない部分もありましたが、私の親戚はとても逞しく、更に私に心配かけないようにしてくれてました。
『まだ来ない方が良い』と親戚に止められ、
私は何も出来ないまま半年以上過ごしました。
やっと交通の部分も整って来たし。
とのことで、親戚に会いに行くことができました。
凄く安心したのを覚えてます。
私は東京で音楽を生業にしてる訳ですが震災後、同業者で廃業していった人がとても多かったです。
私も、自分の身体が思うようにコントロールできない日が続き、poco♪music以外のスクールは退職しました。
そんな頃だったと思いますがライブをして欲しいと気仙沼の人から父に声がかかりました。
私も生徒を連れて行きました。
大きな船がこんな所まで打ち上げられるの⁈
目を疑う光景がある鹿折と言う場所でライブをしました。
みのもんたさんの番組でも取り上げて頂き、ライブは成功だったのですが、何だか自分の中で疑問がありました。
なんだか、長くなってしまいそうなので分けて書こうと思います。
今日はこの辺りで。