poco ♪ music

フォローする

【みなと祭りに参加するまでの経緯 その2】

父の存在

私の父は個性が強いです。

ま、母も。

あ、私も。

ですので家では姉が、まとまりのないクラスを上手にまとめる先生の様なポジションをしてくれます。

そのお陰でみんなスクスク育ちましたw

父は空手の師範や整体治療院を営みつつ音楽活動や芸能活動などもしています。

お金を稼ぐのは苦手だけど、いつも沢山のステキな人に囲まれています。

そして産まれ故郷の気仙沼を凄く大切にしていて、人生の半分以上を神奈川で暮らしているのにもかかわらず東北訛りが全く消えません^_^

ただ、父にとっての震災はどんなモノなのか想像もつきません。

お父さんの実家(私からするとおばあちゃんち)が半壊したので取り壊す事になったのですが、壊してる最中、家に目を向ける事が出来ずにいたのが印象的です。

気仙沼に居る沢山の友達、親戚の為に出来る事を考えてて、頼まれればなんでもやってきたように感じます。

そして、それを応援する友達も沢山、父の周りにも居ます。

手を貸してくれる人が居なければここまでやってこれなかったと思います。

徳仙丈とは

前置きが長くなりましたが、何故みなと祭りに参加するようになったか?を話すうえで最も大切なのが、この徳仙丈です。

父の話しでは、震災で焼けてしまい一時は真っ黒な山になったと。

そこに『つつじ』を植える活動を始めたのです。

今ではこんなに綺麗で、素敵な観光スポットになりました。

ここまで来るのに本当大変だったと思います。

徳仙丈につつじを植える活動をしてる方との繋がりで『みなと祭り』に参加させて頂いているのです。

毎年6月にはつつじ祭りが行われ大変賑わいます。

父も毎年、ライブをしています。

そんな徳仙丈のヤグラが去年、謎の火災で跡形なく消えてしまいました。

こんな事ってある?

poco♪musicの皆さんにも署名活動してもらいましたが、再建を願う意思を伝えてもらいました。

その様子は新聞にも掲載されました。

と、言う事で一緒に行った方はご存知の会長が行っている徳仙丈につつじを植えるプロジェクトの一環にみなと祭りがあるのです。

年に何度も宮城に来るのは大変だろう。と、言う配慮からみなと祭りだけでしたが、来年からはもっと足を運びたいと考えています。

興味を持ってくれた方がいらっしゃいましたら連絡ください。